2026年2月28日、米国がイランを攻撃しました。このことにより、世界情勢に緊張が走っています。では、なぜ米国はイランを攻撃したのか?
なんとなくは理解していますが、いい機会なので調べてみました。
2026年2月に米国がイランを攻撃した理由
2026年2月末、正確には 2026年2月28日 に、米国とイスラエルはイランに対して大規模攻撃を行いました。報道によれば、これは近年で最も大きい対イラン攻撃の一つで、米側はその理由として主に ①イランの核兵器保有阻止、②長射程ミサイル能力の抑止、③米軍・米国民・同盟国に対する「差し迫った脅威」の除去 を挙げています。一方で、これらはあくまで米政権の公式説明であり、特に「核兵器を目前にしていた」という主張には、Reutersが報じたように、米情報評価と必ずしも一致しない部分もあります。つまり、今回の攻撃理由は「突然の単発事件」ではなく、長年の不信と相互敵視が積み重なった末に、米政権が軍事的エスカレーションを選んだ、という理解が近いです。
まず今回の直接的な理由から見ると、トランプ政権は、イランが核開発を再構築し、さらに長距離ミサイル開発を進めていると主張しました。Reutersの整理では、トランプ大統領は「イランは核兵器を持ってはならない」と繰り返し述べ、攻撃目的を核開発阻止に置く一方、長距離ミサイルが欧州、在外米軍、さらには将来的に米本土に届きうる脅威だとも説明しています。また「米国民を守るため、イラン政権からの差し迫った脅威を排除する」とも述べました。ホワイトハウスも、イラン革命防衛隊(IRGC)やイランの弾道ミサイル、対米・対同盟国攻撃能力を理由に挙げています。
米国とイラン両国の関係性の歴史
ただし、ここで重要なのは、米国の説明には“現在進行形の脅威”と“歴史的な敵対関係”が混ざっていることです。Reutersによれば、トランプ氏は今回の攻撃を説明する際、1979年の米大使館人質事件、1983年のベイルート米海兵隊兵舎爆破、近年の中東での対米攻撃、さらにはハマス支援まで一気に並べています。これは、単に「2月末に新たな攻撃計画をつかんだから即座に叩いた」というより、「イランは長年一貫して米国に敵対してきた危険な国家であり、いま止める必要がある」という大きな物語で正当化していることを意味します。言い換えれば、今回の軍事行動は、目先の危機対応であると同時に、数十年分の対立の清算を意識した性格を持っていました。
この構図を理解するには、米・イラン関係の出発点にさかのぼる必要があります。現在のイラン社会には、米国は単なる「外敵」ではなく、過去に自国政治へ深く介入した相手だという記憶があります。象徴的なのが 1953年のクーデター です。CFRによれば、米英情報機関はモサデク首相打倒を支援し、その結果、西側寄りのパフラヴィー国王体制が復活しました。米国にとっては冷戦下の安定確保でしたが、多くのイラン人にとっては「主権を踏みにじられ、米国に従う王政を押し付けられた事件」として記憶されています。この時点で、米国不信の土台が形成されました。
その不信が決定的な敵意へ変わったのが、1979年のイラン革命と米大使館人質事件 です。革命で親米の国王が倒れ、ホメイニ体制が成立すると、イランは反米・反西側を国家アイデンティティの中核に据えました。同年11月、革命派学生らが在テヘラン米大使館を占拠し、米国人を444日間拘束しました。米国ではこの事件が「国家的屈辱」となり、イランでは逆に「米国の介入への反撃」として位置付けられました。ここで両国は正式な外交関係を断ち、制裁と対立が常態化します。現在でも米国政治でイランが特別に強い警戒対象であり続ける最大の歴史的原点は、この人質事件です。
1980年代には敵対がさらに深まりました。イラン革命後、周辺国への革命輸出を掲げたテヘランに対し、米国は強い危機感を抱きます。CFRによれば、イラン・イラク戦争では米国はイラク側を支援し、1983年のベイルート兵舎爆破では、親イランとみられる勢力によって米兵241人が死亡しました。米国は1984年にイランをテロ支援国家に指定します。さらに1988年には、米巡洋艦ヴィンセンスがイラン航空655便を誤って撃墜し、乗員乗客290人全員が死亡しました。米国側は誤認を主張しましたが、イラン側には「米国は自国民の命を軽視した」という強烈な怒りが残りました。つまり1980年代は、米国にとっては「イラン=テロと米兵殺害の元凶」、イランにとっては「米国=戦争相手を支援し自国民を殺した大国」という相互認識が固まった時代でした。
その後も対立は断続的に続きますが、2000年代以降の最大争点は核開発です。皮肉なことに、CFRによればイランの核計画の原点には、かつて米国が「平和のための原子力」政策で供与した技術協力もありました。しかし革命後、その計画は米国にとって最大の安全保障問題に変わります。2015年にはJCPOA(イラン核合意)が成立し、イランは濃縮や施設運用の制限、より厳しい査察を受け入れる代わりに制裁緩和を得ました。合意の狙いは、イランが核兵器級物質に到達するまでの時間を延ばすことでした。これは数少ない関係改善の瞬間でした。
しかし、この流れは 2018年の米国のJCPOA離脱 で大きく逆転します。CFRによれば、トランプ政権は合意から離脱し、「最大限の圧力」制裁へ転換しました。これに対しイランはウラン濃縮を拡大し、合意の枠組みは事実上崩れました。米国側は「合意は不十分で、イランの地域的な破壊活動を止められない」と考え、イラン側は「米国は約束を守らない」と考えるようになります。今回2026年2月末の攻撃で米国が再び「核阻止」を前面に出したのは、この2018年以降のエスカレーションが続いていたからです。外交の失敗が、軍事手段への回帰を強めたとも言えます。
さらに現在の対立を決定づけたのが、代理勢力と報復の連鎖です。2020年、米国は革命防衛隊コッズ部隊司令官ソレイマニを殺害し、国防総省は「米外交官・兵士への攻撃計画を阻止するための防御的措置」と説明しました。イランは報復としてイラクの米軍駐留基地へ弾道ミサイルを撃ち込みました。加えて、2023年10月以降は、イランが支援するハマス、ヒズボラ、フーシ派などをめぐり、中東全体で米国とイランの間接衝突が拡大しました。2024年1月にはヨルダンのタワー22基地への無人機攻撃で米兵3人が死亡し、米側はイラン系勢力との結び付きを強く意識するようになります。ホワイトハウスも、2023年10月から2024年11月にかけて、イランとその代理勢力が中東の米軍を180回超攻撃したと主張しています。
再び現在へ
このため、2026年2月末の米軍攻撃は、表面上は「核・ミサイル・差し迫った脅威」への先制的対応ですが、実質的には 1953年の介入、1979年の革命と人質事件、1980年代の流血、核合意の崩壊、ソレイマニ殺害後の報復、そして2023年以降の代理戦争激化 がすべて積み重なった結果です。米国から見れば「イランは数十年にわたり米国人、米軍、同盟国を脅かしてきた国家」であり、イランから見れば「米国は体制転覆、制裁、軍事攻撃を続ける敵国」です。今回の攻撃が起きた理由は、この双方の歴史認識がついに再び軍事衝突の形で噴き出したからだ、と整理できます。
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